今日から俺は!

昔を思うと、大阪のベッドタウンもかなり、のどかで、人もおおらかだったと思う。

 

最近は変質者情報(凶暴系)や、詐欺電話の類がしょっちゅうです。

昔、私達が中学生だった頃、変んな人たちはいましたが害は無かった様に思います。

例えば...

敬礼おじさん、小学校の近くの立ち飲み屋の前にいつも縁に座り込んで、「少年○○に敬礼!」と言いながら敬礼をしてくるおじさんや「勉強してるかぁ!」と声をかけてくるゲームセンターのおじさん、などなど。

 

そんな時代に大阪の豊中市に引っ越してきて、友達もでき(少々悪ガキですが)自分の居場所を作れた頃の話しです。

 

転校して最初にできた友達の誘いに乗って知らない友達の家に遊びに行った事がキッカケとなり、地域のガキ大将(中学1年生ですからこの程度)にしばかれた(殴られた)事から、噂は千里をかけて学年中の噂になってから誘いも増えて友達もどんどん増えました。

 

それも、大阪のそこそこ悪さで有名な地域で不良が特別扱いの無い様な校風(生徒の7〜8割が悪ガキ系)ですから、転校でイジメグループ(真面目な陰険グループ)からも敬遠され、イジメはなくなりました。

 

しかし、そこは友達に左右される年頃なのと、抑制状態で育った事が重なって自由奔放な中学生活が始まりました。

 

私の性格上、付き合いも良くどこにでも顔を出すので、友達もどんどん増えて、悪さもそこそこいたしましたが、虐待を受けて育ったせいもあり、いじめや喧嘩は嫌いでした。

どちらかと言うと、強い者が弱い者をイジメるのが許せない性格なので、そのせいで喧嘩も良くした様に思います。

 

今の子供では、考えられない事も多々...

プールの塀(幅25センチ✖️高さ3メートル)の上だけで、鬼ごっこが流行り塀の形が入り組んでいるところを飛び回っていましたが、流行って2ヶ月くらいで一人落ちて腕を骨折して禁止されました。

 

中庭で、馬跳び...これも怪我人が出て禁止

 

同じく中庭で、蹴鞠の様な事が流行りボールが木に引っかかり(3階超えのオリーブの木)下からボールを取りに木登りが得意そうな小柄な奴が登っていたら、なかなかの悪ガキ(寿司屋の息子)が3階まで上がり校舎3階の窓から「登るより、飛び移った方が早いやんけー」と叫びながら皆が止めるのも聞かずにダイブしてしまいました!!

見事に飛び移るのを失敗して、枝に引っかかりながら、1階の地面にうつ伏せに着地!一瞬時間が止まって、皆で恐る恐る近づくと、本人は言葉も出ず「ウゥー」と唸り声を上げた瞬間!誰かが、「コイツ!死によるでー」と叫んだ瞬間にそこに居た5〜6人は、助けるのも忘れて逃げ出しました。

勿論、職員室に駆け込んで、救急車のお世話になり本人は、腕の複雑骨折と肋骨を数本骨折しただけですみました。

 

夜の水泳大会...

夏の週末や夏休みの夜に数人で学校に忍び込み、プールで泳ぎました。

夜の学校野宿

プールの季節ではなくなると、体育館や校舎の壊れた窓から入り、肝試しや夜通し喋ったりする事は尽きる事が無かったです。

 

私は参加しませんでしたが、夜中にプールの更衣室に忍び込んで、女子更衣室の壁に穴を開けた同級生が居ました。

見つかってこっぴどくお灸を据えられた様ですが、彼も中学2年で転校してきた転校生だったのですが、大阪のとんでもない中学校から転校してきたらしく、転校初日から学ランのズボンの腿横にポケットの付いた(特攻ズボンと言われていた)ものを履き、先輩達(とんでも無く怖い喧嘩好き)にトイレに呼び出され、喧嘩自慢の先輩からボコボコに蹴り回され、先輩の方が疲れて「これぐらいに...」となって「もういいですか?...」と言って平然としていた彼は、私が住んで居たアパートの裏に引っ越してきたのです。

 

中学2年生のキャンプ旅行の帰りに帰る方向が同じなので一緒になり、仲良くなりましたが、もともとが一匹狼的で尖っていて、その初めて一緒に帰った時も「今やったらお前でも勝てるで〜」と私に言ったぐらいにどちらが強いかが彼のステータスだった様ですが、そのあとどんどん仲良くなり、中学3年では同じクラスとなり、喧嘩が強く(極真空手をやっていた)私は尖っている方では無く誰でも何にでも誘うので、彼も柔らかくなり、何かと一緒に遊びました。

 

彼(島津君/仮名)がバイク好きで、モトクロッサー(飛んだり跳ねたりするダートを走るバイク)を持っていたこともあり、学年中で流行り、皆モトクロッサーをなんとか都合しあって近くの河川敷まで押して行き(半分以上は乗っていた)河川敷にダートコースとジャンプ台を作って走っていました。

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画像はイメージです。

 

毎週の土曜の放課後は自然と集まり、それぞれが、興味ある友達を連れて来るので総勢20人くらいが入れ替わり立ち代わりやって来ては、レースとなり、骨折するものあり、バイクごと川に落ちるものありで楽しみました。

しかし、そこは中学生の経済力では長続きはせず1年半くらいで、プロチームに入る者、バイクを盗まれて辞める者、と徐々に人は少なくなりこの習慣は無くなっていきました。

私は、モトクロッサーを手に入れるのに中学生ですから知り合いの仕出し屋やゴルフ場の伐採用のガソリン運び(ガソリンが入った一斗缶を担いで山を登る)などをして、旧型で同級生のお下がりを売ってもらい乗っていましたが、アパートの裏に鍵をして置いていましたが、盗まれて辞める事になりました。

人より視野が狭くて動体視力が悪いことなどは気にならず(他の人の見え方が分からない事もあるのですが)ガンガン走りジャンプするので、皆からは、怖いもの知らずと関心を引きました。

しかし、親からの後ろ盾のない者は資金的に辛く、バイクを盗まれると、もう一度1からバイトしてやり直す気力がありませんでした。

防具(モトクロスの)も無くブーツも無く、ヘルメットとグローブは、島津君のお下がりでしたので、昔から周りの友達に支えられてきたことが未だに感謝です。

 

話は変わりますが...

 

先輩から譲り受けた自転車が盗難車で、捕まった事もありましたが、お巡りさんに自転車をどうして手に入れたか聞かれて、お世話になった先輩に迷惑を掛けられない一心で、「捨てられていた」と言い張って家庭裁判所に行った事もありました。

 

先程のモトクロッサー(ライトもウインカーも付いていないレース仕様)で河川敷に押して行くのが嫌になり、誘った友達と2人乗りで河川敷まで運転していると、サイレンを鳴らしながらパトカーが...御用となり無免許運転家庭裁判所へ...

 

その他、学校の校風だったのですが、皆グループ(ヤンキー、サーファー、バイクなど)がありましたが、ヤンキーチームが近くの学校のヤンキーと揉めて、リンチにあったのがきっかけで、その学校に総勢30人(こんな時はグループ関係なく協力体制)くらいで押しかけて、やっつける計画で出発して現地集合だったのですが、情報が漏れていたのか?相手の学校に行くと...パトカーが全ての入り口に待機しており、追いかけられたのですが、島津君と私は「もしもの時は、学ランの下にランニングウェアーを着ていて、学ランを脱いで逃走するで!」と作戦を練り参加したのですが、その場は見事に逃走成功!しかし、翌日の朝に見事に名前バレしており。

後日、先生同行の元、警察に出頭!凶器準備集合罪(そんな罪も知らなかった)で家庭裁判所へ...勿論、母が保護者で同行(汗)。

 

母にはかなり心配をかけました。

でも、中学3年になって、先程の島津君も同じクラスとなり何より人生の恩師とも言うべき先生に出会いました。

 

そのへんはまた...