「網膜色素変性症」との出会いと体験

 

皆さん、はじめましてtom,sです。

私の父、祖父とこの病気だったこともあり私も漏れずに継承してしまっておりました。

父は、37歳でロービジョンだったのでしょうが、その当時(昭和45年頃)福祉も医療も確立されていなかったのでしょう(現在もですが・・・)。建築関係の自営業を営んでおりましたが、私の4歳の誕生日から数日後にエレベーターのホール4階から地下1階まで転落して亡くなってしまいました。

 

「見えない」人しか分らないこと・・・

ロービジョンであっても家族や立場は誰でもあるもので、その立場を全うしようと考えるのは当たり前のことと思います。まぁ、言ってしまえば「分かっていたことなんだから、危険な仕事をしなければ・・・」と思われるかもしれませんが、出来ることとしたいことは違ったりしますよねぇ。

それに、小さいときは視力が結構あることと、「見え方」は本人しかわからない事で、本人でも他者の見え方がわからないので、過信があるのか普通以上に動いたりして怪我をしたりします。

実際に私の場合は、左半身だけで縫い傷で40針以上、鼻は右方向に2回骨折、と他も考えると数えきれないほどの怪我で、最近になって新しい検査法が出てきて、「左側が子供のころから視野が狭いですねぇ」とお医者様に言われ、「左側を怪我するのは、そのせい!」と確信しました。それまでは、「左に呪いがぁ・・・汗」とか考えてました。

 

視覚障害でも出来るかもスポーツ

動体視力、明順応、も遅いのでしょう、ソフトボールは小学校のころにはエラー大王でしたし、バスケ、サッカー、では先ほどの鼻骨骨折をしましたから、「典型的な運動音痴」と思ってましたが・・・

チームプレイや球技は、見えていなかったからエラーや怪我だったのでしょう!?

自身でスポーツを選べる様になってからは、球技ではなく、モトクロスバイク、スキー、ウインドサーフィンスノーボード、スケボー、自身が滑る、走る、スポーツはいける!!ということです。怪我は心配ですが、わたしの娘もヒップホップダンスを習っておりますが、結構いけるようです。

この病気で子供の教育に悩んでおられる様でしたら、少しでも参考になればと思います。

 

「網膜色素変性症」とは・・・?

遺伝による難病で網膜(映像が映る目の裏側に張り付いているスクリーンの様な膜)の光(映像)をとらえる細胞が減っていく病気で初期は比較的に視力はあることが多い様で、夜盲や視野狭窄の症状が初期症状になるようです。

 

この目で出来たこと、楽しかったこと、苦しかったこと、出来る限り発信していきたいと思いますので、次回は眼鏡の話でも書きたいと思います。