大動脈弁置換術と祈り

 

こんにちは、前回に大動脈弁置換術の手術に母を送り出し、3時間の予定だったので、家族待合室で叔母と姉と3人で待つ事にしました。

ソファーとテーブルだけの何もない部屋...叔母達と思い出話なんかをしながら待つ事、3時間...4時間...5時間が過ぎた頃にようやく看護師さんから呼び出され、ICUへ案内されました、そこで主治医(40歳前後)の先生から説明がありました。

 

「大動脈弁置換術の手術はうまく行きました」との事で、切り取った心臓弁を見せられました。

瓶に入ったサメの歯がたくさん付いた様な白っぽい石のようでした。

しかし、説明が続き、「手術の途中でてんかんの様な痙攣がありましたので、脳梗塞を起こしたのだと思います。脳を休ませる為に寝ていただいています。」との事で、40歳前後の主治医の先生の顔が疲れ果てた感じで、気になりましたが、「明日の朝には、起こす作業に入ります」と言われてその日は病院を後にしました。

 翌日の午前に病院から電話がありました。

「主治医からお話がありますので、来院してください。」との内容でした。

 

そして、来院し主治医の説明を聴きました。「左脳の小脳に大豆粒程の脳梗塞跡がありこれが原因で意識障害を起こしているのでは?」と言う見解でした。

2〜3日様子をみましょう。との事で、母を見舞い後髪を引かれる思いで病院を後にしました。

 

翌日から、祈る様な気持ちで何も手につかず過ごして、病院に見舞いに行き、眠り続ける母に声をかけましたが、反応はいっこうに無く、呼吸のための気管チューブが口から入り、心拍を取るコードなどに繋がれて元気だった母とは思えない痛々しい姿に心が痛みました。

このまま目覚めなかったら...と言う気持ちと今まで苦労をしてきた母に掛けた心配と何が1番の幸せだったのか?とひたすら考えました。

 

手術が終わって5日目の日曜日の23時30分頃に病院から電話があり「すぐに来てください...お話があります。」これを聞いた時に血の気が引き膝が笑った様に力が入らなかったのを覚えています。

そして、来院(自宅から10分ほど)して「主治医がまだ到着していないとの事で、時間はおぼうていませんが(かなり長く感じましたが)15分ほどでICUのステーションのPCの前で脳のCT画像を見ながら話を聴きました。

 

左目の瞳孔反応が無かった為、CIとMRIを撮りました。「脳内出血を起こして、脳圧が上がり、危ない状態です。」と言われ、脳外科の先生が到着するまで、少し待ってくださいと言われてまちました。

 

どれぐらい時間が経ったか全く覚えていませんが、脳外科の先生に主治医の先生が席を代わり、主治医の先生も息苦しい感じで私たちの斜め後ろに立って話なしを聴きました。内容は、「このままでは無くなります。」脳内の圧迫を取る為に頭蓋骨(こうとうぶ1/4を切り取って圧を下げ落ち着いたら戻す手術をしないと助からない!その手術の承諾をいただきたい。と言われ、聞き直しました。「命が助かって、回復のめどは?」と...すると、このまま眠り続けるか意識が戻っても、半身不随また左脳がかなりやられているので、喋れないしごはんを食べる事も無理でしょう!と言われました。

一瞬、頭が真っ白になり放心しました。隣で妻が、「どうする?」と声を震わせながら「あなたが決めてょ」と言い、悩んでいると

脳外科のの先生が、「お元気な時にご本人がなんて言われていたかも大事ですね。」と言われ、同居と歳をとって面倒を掛けることを常に嫌がっていた母の言葉を思い出しました。

「もし、私が寝たきりなんかになったら、殺してなぁ〜」すると私は、「あほ〜殺したら犯罪者になるやんか〜!勝手に死んでくれ!」と売り言葉に買い言葉を思い出し、いたたまれない気持ちを先生に伝えて、しんどいしんどいと言いながらも元気に家事、仕事、孫の世話と忙しくしていた母を思い出し突然の事に震えながら、幼い頃に突然の転落で亡くした父を思い出し「もうやめて下さい、見てられない...」ボロボロになって行く母の姿を想像して、手術は断りました。

 

もうダメだ...と思った瞬間に涙が止まらなくなり、人生で初めて嗚咽しました。

 

その跡に妻が、先生達の提案で「科学療法で延命する。」承諾書にサインして、先生から2〜3日しか持たないと思いますので、会わしたい方に連絡を...と言われ病院を後にしました。

その日は、一睡も出来ずに朝を迎え、手術に立ち会った叔母と姉に連絡を取り、皆、鎮痛な雰囲気で朝から病院に行きました。

 

つづく