大動脈弁狭窄症

前回、私の網膜色素変性症と白内障手術でお世話になっている病院に母が「息切れ」などの症状で診察を受け、「家族と来院してください」との事で5月8日に担当医の先生の説明を聴きました。

 

すると、大動脈弁狭窄症と告げられ、弁に石灰化したカルシウムが付着して血流が逆流して、ちゃんとした血流が確保できていないとの説明を受け、このまま放置すると2年以内に50%の方がお亡くなりになります。

大動脈弁置換術なる手術が必要で、カテーテルでは、石灰化を除去する際に脳梗塞のリスクが高いので、胸を開いての大動脈弁置換術がベストだとの事でした。

手術は、そう難しいものでは無いし、術中またのち1年内の死亡率は、5%で、うちの母の状態からすると、他の身体の状態からして90歳〜100歳は大丈夫!!と言われて迷いましたが、手術を受ける決意を固めました。

 

母79歳、父が亡くなって47年間働き詰めで70歳の時に一度は仕事を引退しましたが、半年家に居て「ボケそうやぁ」と言って今のパートを始めました。しんどいと言いながらも掃除のパートを続け元気に過ごし、言うことを聴かない孫3人に囲まれた生活がささやかな幸せだった様です。

その、ささやかな生活を続けたい一心で恐ろしい手術をも決意したのだと思います。

 

早速、5月29日入院で6月3日手術と予定が決まり。1ヶ月程の入院との事で、長期入院などした事もない母に入院手続き、健康保険の手続き、生命保険の...と大量の手続きの合間に通院し、自身のみでは手に負えないと思ったのか嫁に相談(嫁のことは好きでは無い)したところ快く手配してくれ、我が息子(私)にも気を使い、病院の送り迎えを言い出せずに居たのを私が気づき病院へ送りました。(凄く喜んだ)

普段の生活で、そんな事にまで気を使い色々としてやれない自分を反省しました。

 

入院当日、私と嫁と母で朝から準備をし、母は「病院のごはんは腹が減る!」とどこからか聴き、朝からてんこ盛りの茶碗でごはんを食べ、お風呂に入り出掛けました。

手術までの4日間、余程寂しかったのか、孫の長男、妹(叔母)、娘(姉)にしょっちゅう電話をしていた様で、嫁も色々と差し入れをしに行っていた様です。

 

そして、手術当日8時に病院へ手術前のお見舞いに、私と叔母、姉が行き、元気付けに行き、「頑張ってくるんやで!」...「寝てるだけやから!」と声をかけて、送り出し手術室の前で車椅子に乗せられて行かれる母の小さな背中を見つつ、「小さくなったなぁ〜」と心の中で思いながら元気になれる事を祈り送り出しました。

 

次回に続きます。