怒りと祈り

先日、私の母が、大動脈弁狭窄症の手術を受けて意識不明に落ち入りました事を書きました。

 

あれから科学療法で脳出血による脳圧は、徐々に下がり危機的な状況は避けられましたが、目も覚まさず、植物の様な状態で、パイプやコードに繋がれて、元気だった母を思い出すと痛々しくて悲しくて仕方がありません。

ヤンチャくれな孫と買い物に行ったり、世話を焼くのが大好きだったことを思うといたたまれなくなります。

 

命の宣告をされて、親族〜親戚が続々とお見舞いに駆けつけて「信じられない!?」「こないだ電話で話したのに...」と口々に言い、母は、親族に心配をかけまいと、手術のことは伝えていなかったのです。

 

それから、何をしていいのか検討もつかず、親族から見舞いの連絡があるたびに病院へ行き、私もその病院に掛かっていましたので、毎日の様に診察と見舞いを繰り返す日々でしたが、母に何もしてやれず声を掛けるたびに涙が止まりませんでした。

主治医の先生から「何故こんな状態になったのか?各専門医に相談して経過をご報告します。」と何度も言われました。私は、「なんと親切で細やかな病院だ」と思いました。

 

手術が終わって10日目に病院から電話があり「お話がありますので...」と連絡があり病院に向かいました。

嫌な気持ちでした。何を言われるのだろう?と考えながら、いつものICUに向かいICUのインターホンを鳴らすと少し待たされてから、主任看護師さんらしき方が現れて「今日は別室を用意してますので、」と病院の中を右へ左へエレベーターで何回かもわからない会議室に通され、病院の安全委員会とか言うところの女性に挨拶されました。

 

そして、会議室に入ると...そこにはテーブルの向こうに5人の方が横並びに座り、いきなり全員が立ち上がり...

 

続きは次回に