昨日、泣いた

 

昨日、母が泣きました。

 

 

それは、髪をクシャクシャにし、目の周りを目やにだらけにした苦しそうな表情で、体をグッタリとしたまま...少し空いた左目に涙をいっぱいにためて...

 

それは、冷静に見ると、頭が痛かったのか?目に目やにがついて痛かったのか?

 

と考えるところなのかもしれません。

 

しかし、その人の生活や人生を重ね合わせ、それを知り、植物状態からの快方を願う者からすると物理的には捉える事ができません。

 

毎日、頭をマッサージし、お経をあげ、全快を願う家族から見ると、悲しみや悔しさから涙が流れているように思えるのです。

 

 

父を亡くしてからの母は、幼い子供を二人抱えて、必死に働き、必死に耐え、自分を殺して私達のために生きてきたはずです。

 

 

決して母は強い人ではありません。

 

この事故を引き起こした、お医者さん達は、「いつまでもそんな事を考えても仕方がない」とか「医者なんだから失敗もある」と開き直るのかもしれません。

 

 

しかし、やっとその人生の苦しみから解放された人が受ける仕打ちとは、どうしても思えないのです。

 

 

私は、代わってやりたいとすら思いますが、私が死んでは、またこの悲しみや苦しみが繰り返されます。

 

幸せとは、何なんでしょう?

 

人それぞれの幸せがあって、他人には分からないものですけど、三人の家族が六人となり、それは自分が一生懸命に生きてきた証なのです。

 

家族が六人になって、6年、その6年間の幸せで満足出来るものなのでしょうか?

 

まだまだ、自分が元気に生きている限り味わえる幸せを、些細なミスによって他人に壊される事に納得できるものなのでしょうか?

 

私が今までの人生の中で、抱えてきた悔しさやそれによる悲観を子供達に残したくはありません。

 

しかしながら、優しかったお婆ちゃんを忘れてほしくはありません。

 

今も全快を願い、幸せの軌道に戻る努力を続けています...応援してくれる皆さん...ありがとうございます。

 

そして、当たり前の幸せを大切にして暮らしてください。

 

それが、どんなに素晴らしいものかが分かるまで...。