兵庫と大阪の中学生
話は前後いたしましたが、中学生時代の事を書きたいと思います。
今の中学生は、時代なのか非常に大人しくて疑問に思います。
私達の時代は力が有り余って居て、ジッとしている事が無いくらいに走り周り、悪さをしたものです。
息子が、今中学2年生ですが、帰って来ると部屋に引きこもり、友達とオンラインゲーム三昧なのです。
前回に明石市の頃の小学生時代を書きましたが、明石市で中学生となり小学生以上に機動力があり家で抑圧された分、外に出ると自由奔放になっていました。
明石市の中学校は超のつくマンモス校で入り切らない生徒を収める為に校庭にプレハブが幾つも立ち並び、クラスは15ほどあったかと思います。
校則は厳しくて前髪眉毛の上、詰襟のカラーは絶対に着用、女子はスカート丈膝下5センチなどとなって居て、帰りも寄り道禁止、買い食い禁止などなどだったと思います。
それでも、どこにでも居るもので、丈の長い学ランに図太いスラックスの不良と言われる子供です。
当時は金八先生の全盛期でしたので、ドラマそのままでした。
明石市では、ごく一部の数人が怒涛を組んでたむろしてタバコを吸ったり、授業の出ずに溜まったりしており、何か特別な人たちの様に思っていました。
兵庫の中学校は4月〜7月の一学期間しかいませんでしたが、家での抑圧の反発か中庭の池でルアーで魚を引っ掛けて遊んで職員室に呼び出しと、学校を抜け出して駄菓子屋に行ったことがバレて呼び出しの2回ほどこっぴどく叱られただけでした。
その後、大阪に夜逃げ同然で引っ越して夏休みを過ごした後に、大阪府豊中市の中学校へ転校したのです。
まずカルチャーショックを受けたのは、上履きが無く土足のまま教室へ入る事、そしてクーラーが効いている事でした。
もちろん伊丹空港が近いので、当時は夜まで飛行機が離発着していたせいですが...そして校風も自由で、普通の生徒も騒がしく自由奔放な感じで、シャツも様々な感じ!?
明石の不良の様な滑稽な(ダサい)感じは無く生徒の8割くらいが派手と言うか格好も自由でした。
そんな中で、私は一様に学校指定の開襟シャツに学生ズボンで登校していると、ついたあだ名が、明石原人!と芋でした。
クラスの中でも色んなグループになっており、格好はきちんとしているガリ勉グループに目をつけられてイジメを受けました。
教科書に落書きされたり、文房具を捨てられたりと色々されましたが、耐えに耐えた後に負けん気の強かった私は、足を引っ掛けられて激怒してそのグループのリーダー的な者を相手に大暴れしてしまいました。
その間にもイジメられっ子扱いせずに声を掛けてくれ、一緒に登下校をする様になった友達も居ました。(今も親友ですが)
大暴れした事と第一の友達が出来たことで、3学期からは、イジメられっ子では無くなりましたが、その親友の誘いに乗って知らない友達の家に遊びに行った事でその後の中学生生活が一変しました。
その初めてお邪魔した子の家に行ってみると、5〜6人は居たと思いますが、クーラーの効いた部屋で溜まり、雑談していました。
皆、格好も派手な感じで、話は面白く小学校時代の事やバイクや誰それが喧嘩して勝っただの負けただのと話は尽きません。
もちろん私は仲間に入れず、誘ってもらった友人の友人扱い(ゲスト扱い)の様な感じでした。
すると、誰かが訪ねて来ました。しかし、集まった5〜6人が嫌う人物だったらしく、外に声が漏れない様に電気を消して居留守をしたのです。
でも、そこは中学1年生です。
クスクスと笑う声や身動ぎするなどして、ジッとしていられません。
なんとか嫌われ者の坂本くん(仮名)が諦めて帰った後に、お邪魔した家の2つ上級生のお姉さんが彼氏のバイクで帰宅したのをきっかけに、バイクを触らせてもらい盛り上がったところでお開きになったのですが、私を誘った友達は用事で先に帰り、同じ方向の右近くん(仮名)が一緒に帰ってくれる事になりました。
すると、帰りぎわに小学校の前に先ほど皆で居留守で避けた坂本くんが他の一人を捕まえて待ち構え、小学校のトイレに来い!!
と激怒している様子でトイレにいざなわれ、「何さけとんねん!!」と右近くんが殴られて、口が血で真っ赤になりました。
私は初めて会った人ばかりで、何が何やら分からぬまま、「おまえもか-」と鼻に一発くらい鼻血が滝の様になりました。
攻撃は、とりあえずそこまででホッとしましたが、翌日に学校に行ってみると、昨日に捕まって殴られたのが、私達だけの様で、色々と聞いてみると、坂本くんは自称番長を目指していていきりたっているが、あまり相手にされていない人だったらしくその後もあまり華々しい話は一度も聞いたことのない人物でした。
しかしながら、転校して間もなくでこの出来事で校内で有名になり、その後に影響して行くのです。
この辺でまた...