ドメスティックバイオレンス

8月になって猛烈な暑さです。

今年も長雨→猛暑→集中豪雨と台風になりそうですね💦

野菜は高騰し、コロナはおさまらず、国際情勢は不安だらけで、子供達の未来はどうなって行くのでしょう。

 

私達が子供の頃に不安が無かったわけではないですが、ここまで来ると世の中も生活もこのままで良いとは思えない毎日です。

 

前回に私の父が亡くなったところまで書きました。その結果、父が残したわずかな遺産を頼りに叔父(父の弟)に出資してクリーニング店を開業する事になり、私達は兵庫県神崎郡から兵庫県明石市へ居を移す事になりました。

 

叔父は、30歳過ぎで父の後を追って(父は稼業を継ぐのが嫌で実家を飛び出していました。)実家を飛び出して江戸前の着物染色の会社に勤めておりました。

 

その叔父が仕事を辞めて着物染色が出来るクリーニング業を興す事になり、母はなけなしの遺産を全て投資して自らもその店を手伝う事になったのです。

 

それが地獄の始まりとも知らずに...

 

叔父は、店舗が10軒L字に並ぶ商店街?の2階、1階が店舗でした。

私達3人は別のアパートに住んでいましたが、叔父が独身な事もあり、食事は一緒に従業員さん2人と皆んなで食べるのです。

 

そして、恐怖の生活は先ほどの店舗を準備するための仮住まいのアパートを借りスタートしました。

それは、叔父が度々苛立ち鬼の形相で暴力を振るうのです!

 

ある時は、何を怒っているのかも分からないのですが、トイレから出ようとしていた私がドアの縁を掴んでいるところにトイレのドアを強く閉められて、指を挟まれました。

当時、5歳でしたので小さな指の背の身がめくれ小指は骨らしき物が見えていました。

 

大量の血を洗い、病院には行かず、薬局の薬で直しました。(いまだに後が残っています)

 

それも始まりで、店舗の2階(明石市)に引っ越しした初日の朝に朝食のパンクズをこぼして、怒鳴られて夕ご飯抜きだったり、成績が悪い!と叱られて、1日中正座させられる事もありました。

 

叔父は機嫌が悪いと歯を食いしばる様で、それがあると目を血走らせて怒鳴り、殴られる事はしょっちゅうで、ダラダラご飯を食べるのも嫌い、好物の炊き込みご飯を腹一杯食べて寝ていると、寝ている腹を踏みつけられて、全て吐いてしまいました。それ以来、炊き込みご飯が嫌いになりました。

 

正月の朝に雑煮が熱すぎる!と母に投げつけた事もありました。

暴力はしょっちゅうで、母が目を碧くしている事もしばしばで、気に入らない事があると何かおきます。

三宮に年末の買い物に行った時です。大人は何か品定めをしている時に、営業マンが私に住所を記入すると何かをプレゼントします。と声を掛けてきて、葉書か何かに住所を記入すると、叔父が飛んできて首根っこを掴まれて、首の肉が爪でえぐれた事がありました。

 

他にも、小学校2年生の時には、罰として姉と2人(姉は2歳上)で明石市から神崎郡まで歩いて行かされたり。(加古川で警察に保護された)

 

真冬に裸にされて、外に放り出されたり(母が助けようとして殴られる)結果、近くの販売機の裏(暖かい)で蹲っていると近くの消防署の人に助けられたり。

と無茶苦茶でした。

 

自然と目の届かない学校に行くのが楽しみで家に帰るのが憂鬱でしたから、学校は休む事なく通い、帰りは遠回りしてなるべく遅く(怒られない程度に)帰る毎日でした。

 

いい事もありました。

叔父は、「働かざる者食うべからず」が口癖で、私は幼稚園児の時は、トイレ掃除、風呂掃除、掃除が手伝い(ほとんど仕事)が日課でした。それも、ピカピカでないとやり直しになるので、必死でした。

 

小学生になって、クリーニング店の手伝いで、タオル畳み、水撒き、掃除ろなりえ、小学校2年生の夏休みからは、カッターシャツ(ワイシャツ)のアイロンプレスと袋詰め、ズボンのポケット掃除、叔父の外回りの同行(話相手)、各お付き合いの同行(美味しいものが食べられる)となり、働く事の苦は無く(友達と約束がある時以外ですが)育ちました。

 

しかし、怒られる恐怖なのか大人の顔色ばかり見る傾向が強く、威圧感がある人は未だに苦手です。

 

それと、正義感が強いのか、ズルい酷い、弱い者イジメが大嫌いで、許さない傾向が強くなり子供の頃から人の好き嫌いがハッキリな性格に育ちました。

 

それと、家では抑圧された生活をしているせいか、学校では自由奔放な振る舞いが増えて喧嘩や悪戯は多かった様です。

 

その辺は、またの機会に....